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第1−1話 始まりはプレストに

3階教室の窓際で後ろから2番目というなかなか良い席で、俺は何があるでもなくぼーっと空を眺めていた。
「この原子番号は覚える必要があります。ですが全てと言うわけではなく――」
今は3時間目の授業中。教科は言わずもがな化学。理系好きの俺としては大丈夫だが、他は教師の子守歌で半分以上が脱落(爆睡)している。教師によっては叩き起こされるだろうが、この化学の先生は定年間近の我らがクラス担任。もこもこ白髪の髪にもこもこ白髪の口髭がマッチしている菩薩のように優しい先生だ。誰にも嫌われていないことが特徴で、みんなそれに甘えてしょっちゅう寝ている。
「――ですが安心して下さい。有名ないい覚え方があります。もう既に知っている人もいるかもしれませんが――」
そろそろ授業に戻ろうと視線を戻す。すると、前の席でその脱落組の1人で俺の友人、大倉雄馬(おおくらゆうま)が教科書によだれで世界地図を描いていた。オールバックの短髪が似合う爽やかなスポーツイケメンタイプで周りを気遣えるムードメーカー。みんなをまとめるリーダーというよりは率先して馬鹿な事を仕出かすガキ大将タイプで、こいつの周りには人が絶えない。また空手部に所属しており、まだ1学期も終わっていないが期待のホープらしい。このままそっと窓から落とせないものか。
「すいへーりーべー僕のふ」
『ガラガラガラ』
先生が新たな呪文をバックミュージックにこの馬鹿を地面に突き刺す方法を考えていると、急に教室の前のドアが開いた。寝ていた男子は俊敏に起きてそちらを向き、女子は軽く舌打ちをする。入ってきたのは背が高く黒髪を背中まで伸ばした女の子。彼女は教壇の前に来て先生に遅刻届を渡した。
「橘さん。もう少し頑張って早く起きましょうね」
先生が笑顔でやんわり注意する。
「……」
彼女は黙ったまま軽く頭を下げ、1番前の窓際の席まで移動した。 彼女の名前は橘柚希(たちばなゆずき)さん。高めの鼻筋に切れ長で大きな瞳。スラッとした長身で、肩まである黒髪ストレートはラフな感じで切られている。彼女のそのスタイルと美しさに目を奪われる人も多いだろう。そしてもう1つ彼女が人目を引く要因がある。それが左目にある縦にバッサリ切れた傷跡だ。噂ではポン刀持ったヤクザに囲まれた時についたらしいが、まあ噂はあくまでも噂だ。だけど腕っ節の強さはかなりのもので、俺も1度見たが男子5人を一瞬で倒していた。未だかつてケンカは常勝無敗らしい。あと俺が知っているのはかなりの無口で常に1人で行動しており、大抵外を眺めていることぐらいか。
「あぁ、橘さんは今日も綺麗だなぁ」
世界地図を描いていた雄馬(橘さんが来てから起きるまで0,5秒♭)が、背もたれにもたれかかり、小声でさりげなく呟いてきた。
「橘さんに負けず劣らずの美人な彼女持ちのくせに罰当たりな事を言ってるんじゃねーよ。突き落とすぞ」
思わず不意打ちでかまそうとしていた事を口に出してしまった。そう。俺と違ってイケメンのコイツは世の中の男が恨みたくなるような子と付き合っている。名前を瀬上彩華(せがみあやか)といい、くりっとした大きな眼に綺麗なパーマがかかった髪、長身で胸がほんの少―しばかり寂しく、これまたほんの少―しばかり愛情表現が過激な美少女だ。彼女は中学校の頃、男子の告白を百人切りしたという噂が流れており、それが信じられるほどであったが本人は笑って否定していた。まあとにかくそんな噂がたってしまうほどの人気者なのだ。この2人は校内でも有名なバカップルとしてその名を知らしめている。そんな彼女は俺の後ろの席についており、現在、俺はこのバカップルにサンドイッチ状態。席替えの際、気をきかせて席を譲ろうとしたが両者とも丁重にお断りされた。とてもにやついた顔で。おそらく俺に見せびらかしたいのだろう。普通なら反撃するところだろうがフェミニストで心の広い俺は笑って受け入れている。決して彼女がトラウマになりそうなほど怖い訳ではないので勘違いしないように。そんな彼女は現在せっせと先生の言っている事をメモしていた。
「僻むな僻むな。綺麗なものは綺麗なんだから仕方ないだろ。お前は和食・洋食・中華に順位付けられるのか?」
そう言って自慢するように憎たらしい笑顔する雄馬。瞬間、周りの男子のこめかみに青筋が立つ音が聞こえた。
「ほーう。口は災いの元だぞ、雄馬。今日の昼飯を奢るといなら聞かなかった事にしといてやる」
「なんでお前みたいな不細工に飯奢らなきゃいけないんだ、罰ゲームかよ」
「おーい瀬上。ここに面白い発言をしたO倉氏の声を録音したボイスレコーダーがあるんだけど聞かな「よーっし修司!昼食は勿論の事、帰りに牛丼トッピング無制限で奢ってやるぞー!」
瀬上に話しかけているといきなり雄馬が会話に割り込んできた。たく、マナーのなってない奴だ。だがそれをあえて口に出すでもなく大人な俺は会話を続ける。
「マジで?あんがと。お前いい奴だなぁ」
「だろ!?ところで話は変わるがそのボイスレコーダー俺に貸して下さいお願いします!」
「ああ別にいいぞ」
「しゃー!さすがは親友話がわかる!」
「当たり前だろ?今瀬上に貸しているから返ってきたら直ぐ貸してやる」
「修司ー!?」
雄馬の断末魔が響き渡った。そして、教壇からごほんと言う咳ばらいが。
「大倉君。元気がありあまっているのはわかります。ですが、授業はあと5分で終了ですのでもう少しだけ頑張って下さい」
「す、すみません」
雄馬が立って頭を下げる。そして座るときに思いっきりこちらにガンを飛ばしてきたが素知らぬ顔で無視する。何てったってこちらには最高の味方がいるのだから。後ろを向かなくとも分かる。ボイスレコーダーをイヤホンで聞きながら、ちょうど第2形態の般若になった瀬上がいるのは。
「ひぃっ……!」
雄馬もそれに気付き顔を青くする。恐らく休み時間にくる地獄を想像したのだろう。
「はん。幸せ者には死を」
そう言って親指を下げる。
「右方君」
先生が授業を止めて話しかけてくる。しまった。どうやら今の発言を聞かれてしまったらしい。いくら優しいと評判の先生でも、さすがにこの発言と親指下は不味かったか?と軽く後悔と反省する。
「グッジョブです」
笑顔で親指を下げる先生。俺この先生大好きだわ。周りの男子も俺のファインプレーにほくそ笑みながら親指を下に向けた。
「くそ、ここに神はいないのか……!」
左隣で雄馬が味方ゼロの状況と逃れられない運命にもがき苦しんでいる。
ふふんざまー見ろとふと恐怖に顔を歪めている雄馬を見る。すると偶然だろうがその後ろ、すなわち前の席にいる橘さんと目があった。
「…………」
だがそれも一瞬で、彼女は直ぐ前に視線を戻して窓の外を眺め始めた。その横顔が、少し日焼けしているように見えた。
『キーンコーンカーンコーン』
授業終了のチャイムが鳴り響く。
「はははっ!なーんちゃって!さっき修司に言ったのは全部冗談でぎゃあー!!!」 それは同時に問答無用で雄馬の公開処刑の始まりを知らせるゴングでもあった。その悲鳴を聞きいて軽くトラウマを再発して震えながら俺は、いつもずっと外を眺めている橘さんは何を考えているんだろうと、分かりもしないことをふと思った。


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「おーい雄馬。約束通り牛丼奢ってくれ」
今は放課後。帰り支度を終え、俺は約束を守って貰おうと雄馬に話しかけた。
「…………」
返事がない。ただの屍のようだ。あの後瀬上に休み時間をフルに使ってボコられた雄馬は瀕死状態になりながらもなんとか4時間目を乗り切った。が。昼休みになると瀬上の本気のラッシュという本当の地獄が待っていた。昼飯を奢ってもらう約束だったが、あの間に割って入れるのはいないだろう。そして誰にも邪魔されずに攻撃を受け続けた雄馬は瀬上に無理やり席に座らされた状態で5時間目が始まってからピクリとも動かない。さすが瀬上の第2形態。威力から徹底ぶりまでハイレベルだ。
「修司、そんな奴ほっといて私と行こ。そこの屑の代わりに奢ってあげるから」
そんなことを考えていると本人の瀬上がなんとも男前な提案をしてきた。
「お、おうマジで!?流石は瀬上、この世に舞い降りた聖母の名は伊達じゃないな!」
先ほどの瀬上の怖さを思い出して軽く身震いしながら罪悪感をぶっ飛ばすために大声を出す俺。
「ふふっ、ありがと。あと瀬上じゃなくて彩華でいいって言ってるじゃん」
「いやぁ、流石に人の彼女を名前でってのはちょっとな」
人に名前で呼ばれるのを嫌う彼女がそう言ってくれるのは嬉しいのだけど、俺には少しハードルが高いわ。
「相変わらずお堅い考えだね。まっ、そっちはおいおいでいっか」
そして彼女は笑いながら俺の背後に回り込み背中を押し始めた。
「よし、じゃあご飯食べに行こー。私の場合は牛丼屋じゃなくてファミレスだけどね」
「ゴチになりやす!」
俺は瀬上のちょっと大胆な行動に照れながら、前に踏み出そうとしたら勢いよく扉が開いた。
「2組の柏木だ!瀬上彩華はいるか!?」 「げっ、優那」 現れたのはチアリーディング部の1年生、柏木優奈さん。彼女は隣のクラスの女の子で茶髪の髪をポーニーテールにしている。そして男口調の割に小柄でても可愛い顔をした女の子だ。独特のしゃべり方でいたずら好きというなかなか個性的な人で、さばさばした性格の瀬上とは個人的にいいコンビだと思う。
「ほうほう。歓迎してくれているようで嬉しいよ瀬上。あまりの嬉しさに殴り倒してしまいそうだ」
「いやぁ、私的には歪んだ愛情ノーセンキューなんだけど」
「そいつは残念。本当に残念だ…な!」
「ひぃー!」
柏木は逃げだそうとした瀬上さんをいとも簡単に捕まえてしまう。
「やあ、右方修司。久しぶりだな。悪いが瀬上を借りてくぞ」
「お、おう。お気遣いなく」
「きょ、今日はその、部活の気分じゃないかなーと」
「ならキャプテンに直接言え」
「く、くそぅ。ごめんね修司。今度絶対奢るからー」
「楽しみにしてるよ」
苦笑いしながら答える。そして瀬上は柏木に首根っこを掴まれてずるずるとひきずられていった。そして教室に残っているのは俺と屍(雄馬)。他のみんなは既に帰ってしまったらしい。
「……帰るか」
とりあえず屍状態の雄馬(ぶっちゃけ力尽きて寝てるだけ)を椅子に座らせて教室を後にした。雄馬を起こす?こいつ寝像と寝起きが悪いから下手に起こして八つ当たりされてもかなわないし。そこまでは面倒見きれないし。部活の誰かが様子を見に来て起こすだろう。
「「「1ー!2ー!3ー!4ー!」」」
そんなことを考えながら階段を下りていると、元気な掛け声が聞こえてきた。どうやら1階玄関の前で筋トレをしている部活の集団がいるらしい。その横を通り過ぎて校門の前に来ると今度はランニングをしている部活の集団とすれ違った。
「……楽しそうだなぁ」
思わず呟く。俺は部活には入っていない。入学した時に悩んだのだが、アルバイトの方が社会勉強も出来て楽しいかなと諦めたのだ。しかし、こうやって見てると部活も捨てがたい。まあアルバイトはアルバイトで楽しいし充実しているから後悔はしていないが。携帯で時刻を確認してみると3時半前。本来なら4時からアルバイトが始まるのだが、今日は久々の休みなので真っ直ぐに家に帰っている。家に帰って何をしようかなーと携帯をしまう。
『ジリリリリーン ジリリリリーン』
「うぉうっ」
瞬間、携帯が鳴った。驚きながら着信画面を見るとそこには女神様との表示が。俺は木の葉で出来た日陰に入って電話に出る。
「もしもし?」
『はい?』
電話に出ると何とも失礼なことに、訝しげな声が聞こえてきた。
「いや『はい?』て。そっちがかけてきたんでしょーが。それとも誰かと間違えたのか?」
『ちがうわよ。貴方が良く分からない言葉を使うからでしょう?どういう意味よもしもしって』
「いやあんたも長年日本にいたから知ってるでしょ。てか俺、今までもこういう電話の出方してなかったか?」
『知らないし使った事ないし使われた事も無かったわよ。あなたの今までの応答はおはようとか挨拶だったし。私、電話で話すほど親しい友達って少ないし。日本でだと皆無だし』
「……おい、あんたは今、親しくもない人間に電話をかけてきたのか?」
『え?……あー、う、うん。そう、よね。……ごめん』
「いや、あの。そういうリアクション本当に傷つくからやめてくんない?」
『なら振らないでよ。頑張ってボケたのに。こういうのを空気を読むっていうのでしょ?』
「振ってないし違うわ。そういうのはいじめっていうんだよ。マーカーで激しくチェックつけとけ」
何が頑張っただ。さらっと毒吐いただけのくせに。言葉を聞いているだけでこいつがにやにやしているのが分かる。
『ひどい。ただ私は日本に馴染みたかっただけなのに。そうやって揚げ足を取って責めるなんて』
「安心しろ。仮にそうだとしても、そんだけ日本語ぺらぺらで揚げ足を取るなんて諺を知っている時点で馴染むのは時間の問題だ」
こいつに日本の文化での配慮なんてするだけ無駄だと過去に学んでいる。
『ふふっ、有難う。そう言ってくれると嬉しいわ』
「それは有難うございます。んで、本題は?」
『そうそう、もしもし?ってifを強調しているの?「仮にだよ?あくまで仮の話だけどね?」って念を押す時に使う言葉を修司が頭おかしくなって使ったのかなと思ったんだけど』
「そっちかい。喜ばしい事に俺の頭は正常だよ。適当な俺の考えだが、「もし」という言葉に意味があるんじゃなくて、日本には電話に出た時にもしもし?と言う伝統が残っているんじゃないの?、それを使う人々の1人が俺ってだけで。詳しく知りたきゃ今度調べておくからとりあえず今は電話をかけて来た本題を話せ。そっちはもう寝る時間だろ?」
『あら?用事が無いと電話をしてはいけないのかしら?ずいぶんとまあ狭量な人ね』
「いや、そんな事はないが。あまり夜更かししていると体に障るだろ?」
その言い方にちょいとドキッとしたのを隠しつつ、といってもしどろもどろになりながら答える。
『心配ありがと。でも自分の体の事は自分が良く分かっているわよ。ただ、ふいにちょっと話したくなっただけ』
「……そうか」
お互いに沈黙する。こういう時は、電話である事をもどかしく思う。
『まあせっかくのご忠告だし、有難く受け取ってもう寝る事にするわ。お休みなさい』
「おう、お休み。またな」
『ええ』
携帯を切り、再び歩き出す。数分にしか満たない会話だったが、満足してもらえたようだ。
「……にしても、あっちーなー」
日陰から直射日光のあたる場所に出た落差も相まったあまりの暑さに、ほとんど無意識でぼやいてしまう。夏が近づく今日この頃、日の出ている時間も長くなっているため、未だに太陽がアスファルトを熱し続けているからだろう。さらにタイミング悪く風も全く吹いておらず、セミの大合唱と相まって確実に俺の体力を確実に削っていた。
「それでも俺は夏が好きな訳だが、何でだろう?」
人気のない交差点に差し掛かったとき、1人ごちてみる。夏休みがあるからか?それとも実はMなのか?と悩みながら歩いていたせいだろうか。俺が前から来た人に気付かずに強めにぶつかってしまったのは。
「っと。すみません」
と謝ることが出来なかった。何故ならぶつかった時に首の後ろを殴られたからだ。ほら、よく漫画とかである手刀でトンッてやるやつ。まさか現実でやられる機会があろうとは。俺は意識が遠のくという初めての経験を味わいながら、本当にこんなことで意識が飛ぶんだなと場違いなことを考えていた。ふわりと柚の香りが した。


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 ぼんやりと視界が明るくなってくる。その景色がはっきりなるにつれ、俺の意識も覚醒してきた。
「……あー。気持ち悪ぃー」
強制的に意識を奪われたのが原因なのだが、そんなことわかるはずもなく無意識に頭に手をもっていく――ことが出来なかった。
「……はい?」
何故なら、両手は後ろ手首を。両足は足首をロープで縛られていたからだ。 さーっと全身の血が引いていくのがわかる。これはもしかしなくても……誘拐?
「は、はは。んなバカなこと。なあ?」
誰に言うでもなく喋り出す。当たり前だが誰も返事をしてくれなかった。その事実に一気に不安になる。何かのドッキリかとも思ったがそれにしては性質が悪いし、ドッキリだと思い込んでドッキリじゃなかった場合のリスクがでかすぎる。そこまでパニック状態の頭で考えてから、俺はとにかく落ち着こうととりあえず深呼吸を始める。
「落ち着け俺、Be Coolだ。これまで熱くなって良かったことなんて何もなかっただろ?」
声に出して自分に言い聞かせる。はっきりいって俺に誘拐される心当たりなんて全くない。家が金持ちでもないし、俺個人、特別なことなんて何もない。だが問題はそんなどうでもいいことではなく、どうやって此処から逃げ出すかだ。そのためにまず周りの状況を確認する。俺が連れてこられた場所はどうやらどこかの廃工場らしく様々な機械の残骸が転がっている。広さは教室4個分くらいで、俺はそのスペースの1番奥でイスに座らされている。そしてとりつけられた窓を見るとおそらくここは2階らしいことがわかった。そして次に自分の状況を確認。
「くそっ、ご丁寧なことで」
足が縛られているロープは近くの床からはえた鉄パイプに括りつけられていた。足を引いてみたが、ロープはぎしぎしと音をたてるだけで、鉄パイプはびくともしない。
「さてと、どうするべきか」
落ち着け。落ち着け。落ち着いて考えれば何かあるはずだ。焦りから再びてんぱりそうな自分に言い聞かせる。そこで俺は今更ながら気付いた。
「そうだ携帯!」
いつもの定位置である右ポケットを確認する。するとそこには確かな膨らみがあった。
「よしっ!」
俺は持ち物をチェックしなかったマヌケな犯人に感謝しながら体を思いっきり左に捻る。そして後ろで縛られていた両手で携帯電話を何とか取り出した。瞬間。
『ピピッ、ピピッ』
携帯が鳴りだした。
「やべっ!」
この音は残りの電池が無くなったときに鳴るアラーム音だ。くそっ、さっき電話したのがこんなところで響いてくるとは。おそらくもう30秒から1分で強制的に電源が切れてしまう。しかし、さっき電話していた事での影響は悪い事だけではない。
「落ち着け。慌てるな。まずはオートロックの解除だ……!」
俺は何度目になるかわからない言葉で自分に言い聞かせながら後ろで画面の見えない携帯を操作する。だか、手先が器用でない俺はちゃんと操作出来ているのかさえわからない。
「くそっ、こんな事なら雄馬の携帯特訓に付き合って……そうだ!」
俺は体を捻って携帯を前に落とす。そして椅子からわざと落ちて携帯の前まで行き、舌でボタンをプッシュする。
(間に合ってくれよ……!)
俺は心でそう願いながらオートロックを解除、すぐさま着信履歴を開く。
(よしっ!こいつなら速攻で出てくれる!)
そして、先ほど電話していた為、着信履歴の一番上の人物を確認するまでもなく俺は通話ボタンを押し耳に押し当てる。1コール。電源が切れる間際に電話をかける事が出来るのかという不安もあったが大丈夫なようだ。
『『ガチャッ』もしもし?』
よし2コール目に入る前に繋がった!Missワンコール(今命名)の名は伊達じゃないな!
「俺だよ俺!助けてくれ!」
『はぁ?オレオレ詐欺とはまた随分とユニークな方法で金の催促するのね。いくら欲しいの?億?『ブツッ』』
携帯を見る。画面は電池切れをアピールし、そして真っ黒になった。
「終わった」
ゴンッと頭が地面に落ちる音がする。言い方が少し悪かった俺も俺だけど、あんな風に受け取るあいつもあいつだろ。何処に友達にオレオレ詐欺するバカがいるんだよ。くそっ、早く出てくれる方に意識がいき過ぎて、冷静な対応をしてくれる方を考えてなかった。早速もしもしという応答をする適応力は持ってるくせに。
「……っ!?」
そう悔やんでいた俺は一気に現実へ引き戻される。何故なら
『カン、カン、カン』
誰かが階段を上がってくる音が聞こえて来たからだ。この場合、俺が考えなきゃいけない可能性は2つ。
A、犯人。
B、それ以外
『カン、カン、カン』
だがこんな廃工場の二階なんて目的でもない限り普通は来ないだろう。よって答えは―
『カン、カン、カン』
A。
『ガチャッ、ギギィー』
錆びきったドアが軋みながら開く。瞳が潤んで、喉が渇く。だがそんな事を気にしているほどの余裕がないほど血の気が引いていく。来て欲しくないはずなのに、そこから目が離せない。そして、そこに現れたのは―――
「こ、こんにちは!右方君!」
顔真っ赤にした同い年の女の子。黒髪ロングで左目に傷痕。
「……た、橘さん?」
噂のクラスメートだった。
「ははははいっ、橘柚希です!」
そう自己紹介をして彼女は頭を下げた。ちょっと待ってくれ。混乱しそうになる頭を無理やり働かせて情報を整理する。

1・放課後の帰宅途中に気を失う
2・目が覚めると廃工場
3・ロープで縛られて身動きが取れない
4・電話で助けを求める→失敗
5・犯人(クラスメート)登場

今ここ
6・なんやかんやで無事脱出(予定[というより希望])

いや待て。まだ橘さんが犯人と決まった訳ではない。今は何か1人で「いい天気ですねっ」とか何故か世間話を繰り広げているが、ひょっとしたら何らかの方法で俺のピンチを知って助けに来てくれたのかも――!
「あの!無理やりこんなところに連れて来てごめんなさい!」
そして彼女は大きく頭を下げた。ドンマイ俺。どうやら犯人は彼女で決定らしい。だけど喜べ俺。どうやら彼女はちゃんとこれが誘拐である事は分かっているらしい。
「ここに来て頂いたのには、その、大事な訳がありまして!」
そう言って彼女は大きく息を吸って深呼吸をした。おそらく気を落ち着かせているのであろう。裏を返せばそれほど重要もしくは重い内容だということだ。俺は自分が縛られて地べたに這いつくばっている状況を再確認する。そこから導き出される結論。
お願い=脅迫
どうしよう、泣きそうだ。そんな時、彼女は眼を見開き俺がそれに怯んだところで言った。
「と、友達になって下さい!」
と。


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そして現在に至ると。俺は今日1日を振り返るのを終えてゆっくりと目を開ける。そして結論を出した。うん。結局訳が分からん。という訳で、このままでは埒があかないと考えた俺は全部直球ド真ん中でいくことにした。
「あの、ちょっと、い、いいですか?」
恐る恐る尋ねる。
「ひゃ、ひゃい!」
橘さんが驚きつつも答えてくれる。
「何で俺を、その、ここに連れてきたのですか?」
誘拐したのですか?という言葉を使わずにやんわりと尋ねる。キレられたら怖いし。その言葉を聞いた彼女がうっと気まずそうな顔をする。
「そ、それは、その、ちゃんと話を聞いて頂きたくて」
ははは、と彼女がとてもぎこちなく笑う。
「では、どうしてロープをはずしてもらえないのでしょうか?」
「その、ちゃんと逃げずに答えて頂きたかった、から、です」
少しずつ彼女の元気が無くなる。
「と、ということは、えと、答えたら解いてもらえるのですか?」
続くぎこちない敬語の応酬。
「は、はい!それは勿論!」
まるで水を得た魚のように元気を取り戻し、勢いよく頭を前後する橘さん。
「……大変聞きづらいのですが、断った瞬間に暴行加えられたりするのでしょうか?」
「そっ!そんなことは致しません!ただ答えが聞きたいだけですから!」
心外だと言わんばかりに両手を前に突き出しブンブンとふる。俺はそんな彼女を尻目に情報を整理する。そしてすぐに結論に至った。簡単な話だ。彼女が言ったことは嘘かも知れない。だからと言って俺にとれる選択肢はどうせ1つだ。
「なら、お、お答えします」
一拍置いて、橘さんの目を見て答えた。
「申し訳ありませんが、断ります」
「……っ」
彼女の目尻が下がる。
「そ、そうですか」
そう呟き、彼女が悲しそうな表情をするが、それも一瞬のこと。
「あ、有難うございます!ちゃんと答えて頂いて。あっ!今ロープ外しますから、ちょっと待っていて下さい」
橘さんはまたあのぎこちない笑顔をした。何故かその表情を見て苛ついてしまう。そんな自分の感情を押し殺して俺はロープを解いてもらう。すんなりと帰してもらえそうでほっとした。この場だけ嘘をついて取り繕う事も考えたが、顔見知りどころか同じクラスだし、軽はずみな嘘は色んな意味で良くないと思ったのだ。警察に行くという手段は個人的事情により除外しているし。
「では、帰ります。また、明日」
言葉数少なく無難な挨拶をした俺は緊張で心臓バクバクのまま、彼女に背を向け歩き出す。ドアノブに手をかける為に右手を出す。が、その右手はドアノブを掴むことはなく、俺は立ち止まってしまった。理由はわかっている。また自分が『余計なこと』を言うべきか悩んでいるからだ。
「あの……!」
そんな葛藤している俺をよそに彼女が叫んだ。そして俺の反応を待たずに続けて言う。
「お、教えて下さい!どうして、どうしてダメなのでしょうか?」
振り向く。彼女は真っ赤になって震えていた。その下がった目尻に涙を溜めて。俺よりも背が高く、キリッとした顔立ちに加えて左目に傷のある彼女。ケンカが強く、常勝無敗との噂がある彼女。無口で、無表情で、いつも独りで外を眺めている彼女。俺は何となくだがそんな彼女は精神的にも強いんだろうと思っていた。そんな彼女が今にも泣き出しそうな顔をしている。俺にはそれがとても儚く見えた。でも。それでも。彼女は目を逸らさず、逃げ出さず、愚直なまでにこちらをまっすぐ見ている。彼女は何に怯え、そして何に立ち向かっているのだろうか。今の彼女か、普段の彼女か。どちらの彼女が本当なのかはわからない。しかし、それは『他人』の俺には関係ないと、無理やり言い聞かせ目線をそらした。
「橘さんは、友達に何を求めているんですか?」
自分の状況など無視してため口で問いかける。
「え?」
きょとんとする彼女。「『それ』を言うのは止めておけ」という自分がいる。そんなことせずにこのまま無視して帰った方がお互いの為だと。だけどこのまま帰ることなんて出来ないし、かと言って『それ』を言うことも出来ない。だから俺は『それ』ではなく『建て前』を言う。
「無理やりこのような所に連れて来て。両手両足をロープで縛って。その、犯罪紛いの脅しで友達をつくって何がしたいんですか?はっきり言って、い、異常です」
震えながら、声が上ずりながらも、言った。他にもいろんな選択肢があったのだろう。もう少しマシな言い方をするとか、その場しのぎの適当な言葉を並べて逃げ出すとか。それでも、不器用で臆病な俺にはこの選択肢しか選べなかった。「建て前」という名の刃を振り回すことしか。相手を拒絶するため、そして自分の本音を隠すため。そう、『自分』の為に相手 を傷つけている。
「俺は、友達を自分と同等には扱わない、例えば‘友達を脅して従えよう’としているような奴とは、友達にはなれません。いや、正確には、な、なりたくない、です」
言葉に詰まりながらも何とか言い切った。相手に振りかざしたはずの刃が自分に刺さった気がした。彼女は小刻みに震えて下を見ており、両手は悔しさからか怒りからかギュッと握り拳がつくられていた。これで橘さんも俺に幻滅しただろう。もしかしたらキレて半殺しにされるかもしれない。俺は腕っ節に自信があるわけでもないので、常勝無敗と名高い彼女とやり合ったら確実にボロ負けだろう。だけどこんな俺にはそんな結末もお似合いかと1人納得する。今度こそ右手がドアノブを掴もうとする。が、握りしめていた拳がうまく開かなかった。それを無理やりこじ開けて、
「分かりました!」
声を聞いた。 帰ろうとしていた体が、急な大声にびくつき、驚きのあまり反射的に振り向いてしまう。下を向いていた彼女があげた顔は何故か――
「その勝負受けて立ちます!」
何故か、ものすごい笑顔をしていた。
「へ?」
今度は俺がきょとんとする番だった。
「叱咤激励有難うございます!『友達と仲良くなるなら相手を知る』と確かに本にも書いてありました!この場合は普通を知るってことだったんですね!」
何やら彼女は力説しだしたが、俺はそれどころではないほど混乱していた。
「いや、ちょっ……」
「今すぐには無理ですけど、1年!いや3年、ひょっとしたらもっとかかるかもしれませんが。それでも!私、必ずやり遂げて見せます!そしてこの勝負に勝って見せます!」
彼女は気合いを入れたのか、左の拳を天に突き上げた。
「そしたら、そのときにもう一度お願いさせて下さい!「友達になって下さい」と」
そう言った彼女の顔はやる気に満ちていた。
「…………」
いろいろ言いたいことがあった筈なのだが、橘さんの笑顔に思わず見とれてしまい、俺は返事をするのも忘れていた。 「今日は本当に有難うございました!」
ぺこりと元気よく頭を下げる。
「それでは私は今後の作戦を立てますので、今日はこれで失礼します!」
そしてシュタッと片手を挙げ、橘さんは「本当に有難うございましたー」と元気よく走り去って行った。ぽつんと1人取り残された俺。今の心情を四字熟語(?)で例えるのなら「台風一過」が妥当だろう。彼女は俺の脳内を荒らすだけ荒らし回って、訳の分からないまま帰っていった。ようやく素に戻った俺はほっと一息つく。そるとそれをきっかけにどっと疲れが噴き出してきた。俺は近くの壁にもたれかかる。
「訳分かんねぇよ」
思わず「本音」がこぼれた。さっきの発言を勝負の申し込みと思える彼女が。あそこまで酷いこと言われたのを叱咤激励と受け取る彼女が。そして、3年もかけてでもまだ俺なんかと友達になろうとしている彼女が。
「ほんと、訳分かんねぇ」
壁にもたれ掛かったまま、ずるずると腰が落ちて地べたに座り込む。さっきまで怒涛の展開だったので、もう1度落ち着いて考えてみた。考えれば考えるほどおかしな話だ。急に意識が飛んで、目が覚めたらロープでぐるぐる巻き。誘拐されたと思ったら犯人は普段とは性格の違うクラスメート。そして犯行理由が
「友達になって下さい、か」
普段と今日の彼女、どちらが本当なのか。本音を言わなかったこと。何故俺なのか。想像以上に考えることが多くて頭がパンクしそうだ。
「やっぱまた今度にしよう」
彼女の話では時間がかかりそうな感じだったので俺もじっくり考えていこう。ふと、座った態勢のまま顔を上げる。ゴンと壁に頭をぶつけたが気にせずに見上げると。
「うおっ、もう夜か」
ところどころ穴が空いている廃工場の屋根。その穴からは見えたのは、綺麗な夜空だった。


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